卒業旅行中に留年します。

22歳大学四年生(内定持ち)。留年まっしぐら。人生最大の絶望のなかブログ書いてます。

【大学四年生】先程、祖母の家が全焼しました。【内定持ち】

どうも。しいたけ酎ハイです。

 

昨日の昼間に仕事中の父から家族LINEに連絡が来ました。

 

岩手にある父の実家、僕の祖母の家が火事で全焼したそうです。

 

祖母は救急車で病院に搬送されたそうです。

 

正直まだ詳しい話は家族みんなわからないのですが、岩手に住む親戚や知り合いと連絡を取っている母から大まかな話を聞きました。

 

祖母は実家で独り暮らしをしています。

台所で昼御飯を作っていたところ、ご近所さんが訪ねてきたそうです。

祖母はガスコンロの火を消して、玄関で立ち話をしていたところ、火が燃え広がったそうです。

祖母は財布などを取りに慌てて家のなかへ戻ったそうですが時すでに遅く、さらにその時髪の毛に火が燃え移り、軽いやけどをしたため救急車で病院に運ばれたそうです。

 

父は会社を早退して、一旦家に帰ってきたあとすぐに新幹線で岩手に向かいました。

 

母もパートを早退して家に帰ってきていて、父に一緒に着いていこうかと聞きましたが、父は一人で大丈夫と言って一人で向かいました。

 

 

 

正直、全く実感が沸いていません。

 

先ほど、岩手に到着した父から実家の写真が送られてきたのですが、全焼でした。

 

どこが居間で、どこが台所かなど全くわかりませんでした。

 

隣の家と道路を挟んだ向かいの家にも燃え移ってしまったそうです。

 

しかし、燃えて黒く無惨な瓦礫の山となった写真を見ても、これが本当にあの祖母の家なのか?と全く実感できません。

 

祖母は火はちゃんと消したと言っているようですが、恐らく火元はガスコンロだと思います。

 

祖母はとてもしっかりしているのですが、冬で空気も乾燥していますし、火が移りやすかったのでしょう。

 

 

 

僕はどうすればいいのでしょうか。

 

僕の留年のせいで約60万という大金を父は支払うことになると思います。

 

それなのに更に自分の実家が燃えてしまった父に僕はどうすればいいのでしょうか。

 

 

僕以上に父の方が金銭的にも精神的にも体力的にも何倍も辛いと思います。

 

この火事も僕のせいなのではないでしょうか。

 

僕が疫病神なのではないでしょうか。

 

僕の留年が悪運を引き寄せているのではないでしょうか。

 

そんなことばかりが頭のなかを駆け巡っています。

 

父に顔向けができません。

 

 

 

留年確定まで残り10日

【大学四年生】僕が留年することを彼女に伝えたときの話~前編~【内定持ち】

どうも。しいたけ酎ハイです。

 

先日、内定先のアルバイトに行ってきたんですが、どんなモチベーションで望めばいいのかわからなかったです。

いや、もちろん真面目に全力で取り組みましたけど、なんというか常に留年するということが頭にあるので、集中できなかったといいますか。

 

 

あ、内定先には留年しそうであることはまだ言ってないです。

 

学校から卒業か留年かを発表されるのは三月の頭なんですけど、それより先に言っちゃったほうがいいんですかね?

 

実際に学校からちゃんと発表されて確定するまで言っても意味がない気がすると言うか、むしろ内定先に無駄に迷惑をかけてしまうんじゃないかって思いまして。

 

でも早めに言った方が内定先の企業も早くから対応できるかもしれないし、どうしたらいいか指示をもらえるかもしれないし、自分的には言っていいならすぐにでも言いたいんですが…。

 

学校から実際に留年通知が来るまで待った方がいいのか、それともすぐにでも言った方がいいのか、どなたか教えて頂きたいです。

 

なぜ学校から留年通知が来る前にも関わらず、僕の留年がほぼ確定しているのかはこちらの記事をご覧下さい。

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、今回は、僕が留年するということを彼女に伝えたときの話を書こうと思います。

 

今まで、両親、親戚に伝えたときの話を記事にしてきました。

 

 

今回は僕が周りの人に留年することを伝えたときの話を書く最後の記事になります。

 

 

正直、この話を記事にするかどうかは物凄く迷いました。

 

自分的にもあまり書きたくはない話ですし、この話を書いたところで果たして意味があるのかどうかと思いました。

 

それでもやはり、このブログは大学四年生(内定持ち)の僕が留年するまでの記録を赤裸々に書いていくというテーマで始めたものですし、同じような境遇の人たちがこのブログを読んで、自分も頑張ろうというか、少しでもそのような人たちの心の支えになればいいという思いで始めたものなので、やはり書かないわけにはいかないと思い書くことにしました。

 

 

 

・彼女との馴れ初め

 

 

僕には大学2年生のときから付き合っている彼女がいます。

 

年は1個上です。

 

大学は違うのですが、僕が大学一年生のときに始めた居酒屋のアルバイトで知り合いました。

 

お互いオープニングスタッフとして始めたのですが、僕はキッチンで彼女はホールだったので、はじめの頃はあまり話すことはありませんでした。

 

というよりも、僕はあまりにも人見知りなので黙っていることが多いのですが、彼女からしたらそれが話しかけるなオーラを出していたように見えたそうです。

 

僕としてはそんなオーラは出しているつもりは全くないのですが、周りからはよく黙っていることが多くて怖いと言われます…。

 

しょうがないじゃないですか…。

 

人見知りなんだから…。

 

コミュ障なんだから…。

 

 

転機は、バイトの懇親会を兼ねたカラオケ大会でした。

 

 

彼女の選曲が僕のドストライクでした。

 

 

東京事変とかJUDY&MARYとか…。

 

なんといいますか、この辺の女性ボーカルのロックバンドの曲カラオケで歌う女の人って、いいですよね。(聞いてない)

 

それから色々話していくうちに、音楽の趣味が合って音楽フェスに行ったり(二人ともcity-popと呼ばれる音楽が好きです。最近だと車のcmに曲を使われたsuchmosやnulbarichなどが少し有名になってきましたね。)、お酒が好きなのではしご酒したり、少しずつ仲良くなり、なんやかんやあって付き合いました。

 

年は1個上なので現在は就職していて、社会人1年目です。

 

 

 

 

・自分が心底嫌いです。

 

 

彼女にはLINEや電話ではなく、会って直接伝えなければと思いました。

 

しかし、社会人1年目として働く彼女は仕事が忙しく、月に1,2回しか会うことができませんでした。

 

次に会う予定だったのは、留年がほぼ確定した日から約二週間後でした。

 

本当は直接伝えるべきなのですが、早く言わなければいけないと思い、仕方なくLINEで「留年するかも」と送りました。

 

すると彼女から、「電話できる?」と返信が来ました。

 

彼女から電話をしようというLINEが来るのはこれが初めてでした。

 

というか、普段彼女と電話をすることは全く無く、待ち合わせなどの軽い電話ではなくてちゃんとした電話をするのは、二年以上付き合ってきてこれが初めてでした。

 

初めての電話がこんな悲しい内容のものになるとは思ってもいませんでした。

 

しかし、その日は都合がつかず、次の日は予定がなく彼女も仕事が休みだったので、次の日に電話をするということになりました。

 

 

電話をするまで、その日はLINEの返信をすることができませんでした。

 

 

このとき僕は、彼女と別れようと思っていました。

 

実は彼女は、勤めている会社の仕事が自分に合っていないと思い、今年から、今の仕事をしながら転職活動を始めることになっていました。

 

その話は去年から聞いており、今年は僕も社会人1年目として働き始めるはずだったので、二人にとって大変な一年になるという話を前からしていました。

 

しかし、そんな矢先に僕が留年してしまうとなると、ただでさえ仕事と転職活動をで大変なのに、さらに彼女にとって負担となり、迷惑をかけてしまう思いました。

 

それならば、彼女の為にも別れるべきだと思いました。

 

 

 

 

…嘘です。

 

本当は、別れたくないです。

 

ただ、留年ということを彼女に心配されながら付き合い続けるのが嫌だっただけです。

 

また、彼女から別れを告げられるのが怖かったんです。

 

彼女の為を思ってという綺麗事を並べて、自分のしょうもないちっぽけなプライドを傷付けまいとしていただけです。

 

なんの意味もないのに。

 

完全なる自業自得なのに。

 

こんなときでさえ、自己防衛にはしる自分が心底嫌いです。

 

 

 

・人生で一番かけるのが憂鬱な電話だった

 

 

次の日の昼に、電話をかけました。

 

呼び出し音が鳴っているとき、胸がはち切れそうでした。

 

このまま電話にでないでくれと思いました。

 

 

「大丈夫?」

 

 

彼女の声からは、電話越しでもとても心配してくれていることがわかりました。

 

彼女の声を聞いたら、申し訳ない気持ちと、辛い気持ちが一気に込み上げてきて、この世から消え去りたくなりました。

 

僕は震える声で謝りました。

 

 

「本当にごめん。」

 

「ううん。今どういう状況なの?留年が決まったわけではないんでしょ?」

 

 

僕にとても気を遣ってくれているようでしたが、やはり困惑しているようでした。

 

 

僕は、期末試験の日程を間違えて、試験を白紙で提出したことなど、事の経緯を一から説明しました。

 

話してる間、彼女はただ相づちを打って聞いていました。

 

 

話をし終わると、彼女は「そっか…」と言って黙りました。

 

なんと言えばいいのかわからないようでした。

 

 

僕は「ごめん。」としか言えず、暫くの間沈黙が続きました。

 

 

 

僕は別れを切り出そうとしました。

 

 

「あのさ、○○(彼女)も今年から転職活動を本格的にはじめるし、忙しくなるよね。」

 

「うん。」

 

「それなのにさ、俺が留年ってなると○○にもすごい迷惑かけるし負担にると思う。」

 

「ううん。大丈夫。」

 

「だからさ、その…」

 

「うん。」

 

「…。」

 

「どうしたの?」

 

「…ごめん。なんでもない。」

 

 

 

言えませんでした。

 

どうしても言えませんでした。

 

やっぱり別れたくないんです。

 

ヘタレなんです。

 

 

 

 

「どうしたの?大丈夫?」

 

 

彼女はとても心配そうでした。

 

もしかすると僕が別れを切り出そうとしていることがなんとなくわかっていたのかもしれません。

 

 

「いや、大丈夫。」

 

「本当に?」

 

「うん。」

 

「わかった。」

 

「だからさ、来月の卒業旅行(温泉旅行)も行けないと思う…。ごめん。」

 

「うん。大丈夫。」

 

「とりあえず再来週会うときにまた話し合おう。」 

 

「わかった。あまり思い詰めすぎないでね。」

 

「うん。ありがとう。」

 

 

 

 

 

結局その日は最後まで別れを切り出すことはできませんでした。

 

でも、電話が終わったとき、僕は内心ほっとしていました。

 

別れなくてすんだ。

 

別れようって言われなかった。

 

そんな思いで僕は安堵していました。

 

彼女の負担とならないために別れようと思っていたはずなのに。

 

結局僕は自分のことしか考えていませんでした。

 

 

続きます。

 

 

 

留年確定まで残り15日

【大学四年生】僕が留年することを親戚たちに伝えたときの話【内定持ち】

どうも。しいたけ酎ハイです。

 

この前の記事で、留年がほぼ確定したことを両親に伝えたときの話を書いたんですが、書きながら凄く気が滅入ってしまいました…。

 

この記事を書いて改心しよう!と思わずに俺はごみカス野郎だ…ってただただ落ち込んでしまうところが自分の駄目なところです。

 

あーあー。

なんかいっつも暗くてネガティブな文ばっか書いちゃってるから今回はなるべくポジティブに書こうと思ったのにのっけからこれだよ。

 

まあ留年のことをポジティブに話すなんて無理な話ですけど。

 

てか過ぎた話ならまだしも、留年ほぼ確定した日から約1ヶ月しか経ってなくてまだ学校から発表されたわけでもないのに既にポジティブに話せたらはそれはそれでどうなんだ?とも思いますが。

 

あーなんか自分で文章書いててやっぱ僕って根暗だなーって思うわ。

気持ち悪。

 

 

今回は、留年がほぼ確定したことを周りの人に伝えてみたシリーズ(長ぇ)の第2弾ということで、親戚に打ち明けたときの話を書こうと思います。

 


 

・渡る世間に鬼はない

 

僕の親戚は、父方母方共にとても仲がよく、毎年お盆と正月にはそれぞれの実家に帰って親戚の集まりがあります。

 

母方の親戚の集まりが留年が決まった日の5日後にあったので、そこで親戚たちにも話しました。

 

本当はその日は1か月以上前から友達と飲みにいく予定があったので、僕はずっと集まりには行けないと言っていました。

 

しかし、留年のことを話してから、母から「みんなに自分からちゃんと話なさい。」とずっと言われていました。

 

それでも僕は、親戚に合わす顔がないと思い(ていうか怖くて)集まりに行かないと言っていました。

 

しかし、前日になって流石にそれは駄目だろと思い(気づくの遅いわ)、飲みにいくはずだった友達に謝って予定をキャンセルし、集まりに行くことにしました。

 

 

 

母は三姉妹の長女で、三姉妹の家族が母の実家(僕の祖母の家)に集まります。

 

僕たちの家族が実家に着くと、既に他の親戚たちは到着していました。

 

お正月なのでリビングのテーブルには豪華な料理が並び、大人たちはお酒を飲んだり、子供たちはゲームをしたりとお祝いムードが流れていました。

 

 

キツかったです。

 

 

折角のお正月なのに僕のせいで楽しい空気を壊してしまうとか、なんで俺だけこんな思いをしなければならないのかとか(自業自得でしかないが)、もうとにかくその場にいるのが辛くて、すぐにでも帰りたかったです。

 

みんなが楽しそうにしているなか、1人で黙って座っていました。

 

そんな負のオーラ全開の僕を見て、叔父さんたちは「どうした?」と聞いてきました。

 

でもなかなか言い出すことが出来ませんでした。

 

それでもやっぱり話さなければいけないので、親戚が全員リビングに揃ったときに、留年することを打ち明けました。

 

 

親戚のみんなの反応はこうでした。

 

 

 

 

親戚一同

「なんだそんな話かよ!」

 

 

 

 

叔父さんA

「そんなことで世の中終わりみたいな顔してんじゃねえよ!」

 

叔父さんB

「だーいじょぶだよそんなの。」

 

 

みんな笑い飛ばしてくれました。

 

 

叔母さんA

「内定先とは縁がなかったのよ。そういう運命なのよ。」

 

美輪明宏化する叔母さんA。

 

 

叔母さんB

「うちなんて上の子は留年で下の子は浪人してるわよ。」(叔母さんBの息子たち(僕の従兄弟)は、兄(僕の1個上)は大学院の受験に失敗して、次の年もう一度受験するために四年生で留年しており、弟(僕と同い年)は大学受験で浪人しています。)

 

従兄弟たち

「そーだそーだ。」

 

 

 

 

親戚は色んな言葉で、僕を励ましてくれました。

 

そして、次の祖母の言葉に僕は衝撃を受けました。

 

 

 

・留年してる人はこの世にごまんといる。

 

祖母

「あんたの母さんなんて一浪&一留してんのよ」

 

 

え?

 

 

「え、知らなかった?」

 

 

 

知らなかったわ!

 

 

 

なんと僕の母は、大学に一浪し、更にその大学在学中に一回留年していたのです。

妹はそのことを知っているようでしたが、僕はそんな話初耳でとても驚きました。

 

それと同時に、こんな気持ちが生まれました。

 

なんだ、俺だけじゃないのか。

 

いや勿論世の中に留年したことある人なんて沢山とは言いませんがある程度いる訳ですし、それはわかっています。

 

てか僕の周りにも留年している友達や後輩何人もいます。

 

いとこ(1個上)も留年してますし。(まあこれは大学院をもう一度受験するために自分で選んで留年してるので僕とは違いますが。)

 

それなのに、それまでの僕は留年したら人生終了という気持ちでした。

 

世界で自分だけが留年するというような気持ちでした。

 

しかし、自分の家族、しかも実の母親が留年していたという話を聞き、それでも自分のやりたい仕事をして、父と結婚して、今では専業主婦として不自由なく生きている母を見て、「留年しても生きていけるやん」と思いました。

 

 

 

 

・身内は必ず味方してくれる

 

 

以上が僕が留年することを親戚たちに打ち明けたときの話です。

 

親戚たちの言葉には、めちゃくちゃ救われました。

 

 

まだ学校から留年が発表されたわけではありませんし、発表されるまではずっと不安というか辛いのですが、それでも言う前より気持ちが楽になりました。

 

 

この家に生まれて、こんなにいい人たちに囲まれて、僕は本当に幸せ者です。

 

 

 

留年確定まで残り21日常

 

【大学四年生】留年がほぼ確定した直後の高校の同窓会の話【内定持ち】

どうも。しいたけ酎ハイです。

 

1月の頭に久しぶりに高校3年生のクラスの友達から連絡がありました。

その時の仲が良かったクラスメイト10人で同窓会をしようというものでした。

グループLINEで、副会長が日程調整を作ってくれて、みんなが答えていました。

僕も予定が分かり次第答えようと思っていました。

 

 

・学生生活で一番楽しかったクラスかもしれない

 

僕は昔からとても人見知りで、根暗で、偏屈な人間です。

第一印象や偏見だけで人を決めつけて。

 

そんな性格のせいで、高校1年生の時はクラスに馴染めず授業中も休み時間も一日中自分の机で寝て過ごしていました。

先生たちからは寝坊助とよばれ、クラスメイトからも一日中寝ている人というキャラが確立していました。

 

でも高校3年生のクラスのみんなは、そんな僕ともとても仲良くしてくれました。

別に僕はクラスの中心でも人気者でもなかったです。

僕の性格からしてそんなポジションはおこがましく端からなろうとも思っていません。

それでも、高校3年生の思い出は楽しかったものが多いです。

 

僕は、成人式は中学校の同窓会に出ていたので、その友達たちと会うのは高校を卒業して以来およそ四年ぶりです。

 

なので、友達たちに会うのをとても楽しみにしていました。

 

 

 

その連絡があった二日後に僕の留年がほぼ確定しました。

(なぜ留年がほぼ確定してしまったのかは、下記記事をご覧下さい。)

 

 

今、僕は家のリビングでテレビを観ながらこの記事を書いています。

 

 

そして、この記事を書いている今その同窓会が行われています。

 

僕は日程調整を答えませんでした。

 

同窓会には行けませんでした。

 

本当は行きたかったんです。

 

でもやっぱり怖かったんです。

 

この恐怖は何に対しての恐怖なのか、自分でもよくわかっていません。

友達たちに留年したことを知られてしまうことへの恐怖かもしれません。

そして、蔑んだ目で見られるのではないかということへの恐怖かもしれません。

または、同情されること、励まされることへの恐怖かもしれません。

 

せっかく僕のような人間を誘ってくれた友達に対してこんなことを思うのは失礼だと思います。

僕が自分で留年のことを言わなければ、恐らく友達たちが僕の留年を知ることはないと思います。

 

それでも僕は同窓会に行くのをやめました。

 

 

次みんなに会えるのはいつだろうか。

人生でみんなと会うことはあるのだろうか。

 

せっかく誘ってくれたのに、日程調整も反応すらもしなかった僕がまた誘われることなどもうないと思います。

 

既に後悔しています。

 

行ったほうがよかったのか。

これでよかったのか。

 

答えが出ることはないと思います。

 

 

 

留年確定まで残り25日




【大学四年生】両親に留年がほぼ確定したことを言ったときの反応【内定持ち】

どうも。しいたけ酎ハイです。

 

留年がほぼ確定した日から、人に会うのが憂鬱になってしまい、最近はアルバイトをするか、家でYouTubeを観るか、アプリで漫画を読むかしかしてないです。(留年がほぼ確定した理由は下記の記事をご覧下さい。)

 

 

本当は結構アウトドア派でして、何も予定がない日であっても基本外出していたのですが。

留年への恐怖が生活にも影響を及ぼしています。

毎日が不安です…。

 

僕は、留年しそうであることをすぐに周りの人たちに話しました。

 

なぜすぐに話せたのかというと、その理由は最低です。

 

僕の友達に既に留年している人がいたからです。

 

その人は、今でも留年していることを周りに言えず、苦しんでいます。

 

とても不謹慎だということはわかっています。

しかし、その人を近くで見ていたからこそ、僕はすぐに話そうと思うことができました。

 

この話は、後日記事として書こうと思います。

 

今回は、僕が自分の周りの人たちに留年しそうであるということを話したときの反応を書いていこうと思います。

 

 

・僕の親への留年の伝え方

 

一番最初に話したのは、両親です。

両親には、最後の期末試験を白紙で提出して留年がほぼ確定したその日に、留年しそうであることを家で直接話しました。

 

家に帰ると、母はリビングでソファーに座ってテレビを観ていました。

僕はそのまま母の隣に座り、しばらく無言でテレビを観ていました。

その間、心の中では早く話さなければと思っていました。

しかし、やはり怖くてなかなか言い出すことができませんでした。

 

そこで僕はとても卑怯な行動に出ました。

 

わざと大きな溜め息をついて、露骨に落ち込んでいる「演技」をしたのです。

 

いやまあ実際には本当にとても落ち込んでいますし、落ち込んでること自体はまったく嘘ではありません。

 

しかし、更に大袈裟に落ち込んでいる雰囲気を出しました。

 

なぜそんなことをしたのか。

 

それは、僕が落ち込んでいることに母が気付いて母から声をかけてもらうことで、留年しそうであることを言い出すきっかけを作ろうとしたのです。

 

僕は弱い人間です。

どうしても自分から言い出す勇気がでませんでした。

怖かったんです。

 

母はそんな僕を見て、(思惑通り)「どうしたの?」と声をかけてきました。

 

しかし、僕はすぐには話さず、更に無言のまま落ち込んでいる演技を続けました。

 

母は、とても心配そうに「今日何かあったの?」と聞いてきました。

 

そこで僕は

「留年すると思う。」

と言いました。

 

母は驚いて、

「え嘘でしょ?」

と少し強めの口調で言いました。

 

驚いてはいましたが、半信半疑というか、「冗談でしょ?」という感じでした。

 

そこで僕は、

試験の日程を来週だと思っていたら本当は今日だったこと、

全く勉強しておらず、白紙のまま提出したこと、

すぐに教授に謝りにいったが相手にされず救済措置もないと言われたことなど、今日あったことを全て正直に話しました。

 

 

母は、怒りませんでした。

 

 

恐らく僕がとても落ち込んでいたので、更に落ち込ませないよう気を使ってくれたんだと思います。

起きてしまったことはしょうがないと励ましてくれました。

 

本気で泣きそうになりました。

 

そして、とりあえず父が仕事から帰ってきたら話をしようと言われました。

 

 

・父とはこれからどうするかについて話し合った

 

晩御飯を食べて、お風呂から出ると、父が帰ってきていて、父と母共にソファーに座っていました。

 

父は、既に母からことの経緯を聞いていました。

 

父も僕のことを叱りはしませんでした。

 

父は、

 ・その授業はどういう授業なのか

 ・授業にはちゃんと出ていたのか

 ・教授はどういう人なのか

 ・なんでこういうことになったのか

などを聞いてきました。

 

僕は、

  ・その授業は専攻科目ではなく教養科目であり、全学年全学部の人が履修する200人くらいの生徒が受ける授業である。

  ・専攻科目ではないので僕のゼミの先生に相談してもどうすることもできない。

  ・授業は基本出席していた。(本当は2回ほど休んだが言えなかった。)

  ・教授にはテスト後すぐに謝りにいったが門前払いだった。

ということを話しました。

 

その後、これから具体的にどうするかという話をしました。

その内容は、

 ・明日もう一度教授に謝りに行く

 ・毎日レポートを書いて提出しに行く

というものでした。

 

話し合いが終わると、僕は自分の部屋にもどりました。

 

最後まで両親が僕を叱ることはありませんでした。 

 

 

・今でも両親に謝れずにいる

 

その日、僕は両親に留年しそうだということを言っただけで、謝ることができませんでした。

 

というか、今でも謝ることができずにいます。

 

それは、まだ留年が学校からの通知として発表されてない(卒業認定の通知は3月3日にあります)ということが理由のひとつだと思います。

 

この授業の単位を取らないと卒業はできないので試験を白紙で提出した以上留年はほぼ確定しているのですが、やはり実際に発表されてない以上、自分でも実感と言いますか、どうしても謝るタイミングがわからないんです。

 

謝ってしまったら本当に留年が確定してしまいそうで、それがどうしても怖くて、現実逃避しているような状況です。

 

 

そしてもうひとつの理由があります。

 

あの日以来両親は、僕に留年について聞いてくることはほとんどありません。

 

しかし、一度だけ母に、

「昨夜、父が晩酌をしながら『(僕の名前)は大丈夫なのか?』って言ってたよ。」

と言われました。

 

本当は両親ともに物凄く心配してくれているんだと思います。

 

しかし、僕に気負わせないように、なるべく触れないようにしてくれているんだと思います。

 

そんな両親の優しさに僕は甘えてしまっています。

 

本当はすぐにでも謝らないといけないことはわかっています。

 

それでも、怖くて謝れずにいます。

 

3月3日に学校から留年が通知されたら両親に土下座しようと思っていますが、心の弱いクズ人間の僕には、それさえできるかどうかわからずにいます。

 

 

・まとめ

 

以上が僕の、留年がほぼ確定したことを両親に伝えたときの話です。

 

これから他にも、親戚、友達、彼女など、色んな人に留年のことを話したときの話を書いていけたらなと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

留年確定まで残り25日

大学四年生(内定持ち)の留年までの記録

どうも。しいたけ酎ハイです。
人生最大の絶望のなか毎日を過ごしています。
まあ完全なる自業自得なのですが。

 

僕は某私立大学に通う卒業間近の大学四年生、21歳男子です。

すでに内定は去年の6月にもらっています。

 

なんでブログを始めようと思ったのか。

 

留年しそうだからです。

てかします。確実に。

 

 

・なんで留年しそうなのか

 

大学生最後(となるはず)の今学期は、卒業に必要な単位を取るための授業2つとゼミ、合計3つの授業を履修していました。

 

その卒業に必要な単位を取るための2つの授業のうち、片方の授業の期末テストの日程を間違えました。

まああるあるですね(ねーよ馬鹿)。

 

その授業は教養科目でした。授業時間は火曜日の1限目、全学年全学部の生徒が履修できる授業で、履修人数は大体200人くらいでした。

難易度的には、そこまで難しくもないが楽単でもないって感じだと思います。

まあでも僕が応募したときは定員より多くの人数が応募していて抽選が行われていたのでどっちかというと楽なんだと思います。

 

そして成績の付け方は、

 

  • 授業内での小レポート及びコメントシート=30%
  • 授業最終日で行う期末テスト=70%
  • 合計=100%

 

といったものでした。

 

僕はその授業の最終日は、学校の定める期末試験期間の前の週だと思っていました。

 

しかし、僕が思っていたその日は、なんと補講日でした。

 

つまり僕が思っていた週の更に前の週が授業最終日だったのです。

 

僕はその日、テスト直前の最後の授業を受けるつもりで学校に向かいました。

流石にテスト直前はテストの話もするだろうし休むわけにはいかんと。

 

教室に入ると、多くの人が授業で配布されたプリントを見ていました。

私は「来週テストだからなぁ。みんな意識高いなぁ。俺もそろそろ勉強始めないと。」なんて思っていました。

 

そしてチャイムが鳴り、教授は教室に入るなりこう言いました。

 

「それでは今日の期末試験の説明をします。」

 

頭が真っ白になるとはまさにああいうことなんですね。2秒後に全身から冷や汗が噴き出しました。

 

そしてノー勉でテストを受けました。
このノー勉は「俺まじで勉強してねぇ」とか言いつつちゃっかりそこそこの点数とるやつが言う「なんちゃってノー勉」ではありません。

ガチのやつです。ゼロです。0。零。
テストは前日に一夜漬けするタイプですので。

 

試験は70分間で、論述問題3問だったのですが、地獄でした。

 

何か書かなければ、少しでも埋めなければとは思うのですが、卒業がかかっているとか、落としたら留年だとか、今考えてもどうしようもないとわかっているのにそういうことが頭の中を埋めつくし、パニックになってしまいました。

 

そしてテスト用紙三枚を白紙で出しました。
本当に1文字も書かずに出しました。

出すとき僕の用紙を見た教授が「うわっ」って言いました。そりゃそうだ。

 

そのあとすぐに教授に救済措置を頼み込むも、門前払いでした。

次の日反省文を書いて出しに行ったのですが受け取ってもらえませんでした。

 

という感じです。

 

 

・生粋のクズ野郎によるブログです。

 

ここまで色々書かせてもらいましたが、一つ言っておかなければならないことがあります。

 

それは、筆者が生粋のクズ野郎であるということです。

 

どれくらいクズであるかは、ここでは書ききれないので後日また別の記事として書こうと思いますが、そもそも卒業がかかってる授業の試験日程間違えるような人間ですし、しかもその授業の試験さえはなから前日一夜漬けで挑もうとしているような人間なので、どれ程だらけきった無能人間であるのかは察して頂けると思います。

 

このブログを始めたのも、流石にこのままではいけないと思い(手遅れかもしれませんが)、なにか行動を起こさなければという懺悔&改心の気持ちからです。

 

 

・留年体験談ではなく、留年までの記録です。

 

このブログを始める理由はもう一つ。

 

ネットで留年について調べると、「留年したら何をすべきか」であったり「過去に留年した体験談」といった記事はいっぱいでてくるのですが、「 留年までの記録」が全然ないな、と思いまして。

 

そりゃそうですよね。
留年したくてする人なんていませんもの。
たとえ留年しそうでも最後まであがきますもの。

 

そして現実逃避しますもの。

「なんだかんだ卒業できるんじゃね?」って。

 

僕も心の奥底でそう思ってしまっています。

70%のテストを白紙で出したのにも関わらずです。

救済措置ももらえず、反省文も受け取ってもらえなかったにも関わらずです。

 

 

しかし、やっぱりどう考えても最高で30点しか貰えないのは明白です。

イコール落単です。

イコール留年です。

 

もうね、開き直ります。

考えても仕方ありません。

批判は重々承知の上です。

転んでもただでは起きれません。

 

留年までの記録がないなら僕が書きます。

なんらかの需要あるかもしれんし。

 

というわけで、完全なる見切り発車ですが、このブログで卒業間近の現役大学四年生(内定持ち)が留年するまで、そして留年したらどうなるかを記録していこうと思います。

 

今まで文章なんてほとんど書いたことありませんし本当にどうなるかわかりませんが、とりあえずよろしくお願いします。